共依存なのか、愛なのか(ナースeye)

愛を受けることに依存する人。そんな人へ尽くすことに依存する人。 愛というものは「人のために尽くす」ことで、共依存というものは「人のためになると思い込んでがんばる」ことだと言います。しかし、実は、その違いは微妙です。また、「人のためになると思い込んでがんばる」のが、必ずしも共依存という病気とは限らず、性格的な自己満足である場合も少なくありません。 決定的な違いは、その尽くす対象として、依存症者(ほとんどの場合は家族)がいるかどうかになります。したがって、共依存になりやすい性質の人間が、ただ一人で生活している状態においては、何の問題もないでしょう。家族など身近な人間関係において、その性質を「利用された」時に、その共依存という病気がもたげてくるのです。 いい人といえば、聞こえは悪くありませんが、そういう性質を利用されたり、あとで困ったりすることから考えると、「いい人」では済まされない問題もはらんでいます。悪用される可能性のある性質、または病気なのでしょう。 考えてみれば、境界のない人間関係ですから、巻きこまれやすい状態があるのは、当然なのです。自分の感情が、人の感情にからみあって、巻きこまれていくのです。依存症者から見て、無防備で、侵入しやすい状態に違いありません。依存症者にとって、あまりにも「いい人」で、心地よいがために、それに甘え始めて、ダメになっていく人がいるのも理解できます。そんな関係を築いて、お互いがダメになってしまう前に、この共依存について理解を深め、共依存を防がなければなりません。